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煩悩退散!

シンプルライフを目指しています。なのに煩悩(物欲・食欲・承認欲 etc.)は尽きません。そんな煩悩をここで吐き出して成仏させようとする試み。

ブログを書く意味 その時その人しか感じないこと・言えないことがある

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昨日の記事で、人には行動様式の異なった様々なタイプの人がいるということを受け入れようと書きました。そして、人のタイプはその人の性質と置かれた立場によって主に決まるという考えを示しました。

ブログを書く意味

人の立場(年齢、職業、結婚 etc.)は人生の中で時々変わります。そして、それに従ってその人の感じ方や行動様式も変化します。そう考えると、人生の中でその人がその時にしか感じないこと、その時にしか表現できないことがあるはずです。

それをその時に表現して発信しておかないと、後からでは、立場の変化とともに感じ方自体が変わってしまって、書くことはもう不可能になります。

今の私に、小学生の頃のことを書くことはほとんど不可能です。多少は何かを思い出して書くことはできるでしょうが、その時の感情などを細かい点はもう思い出せない。

まあ、年をとったら昔が思い出せないという事実をリアリティを持って言うことはできますが。私はエピソード記憶が弱いタイプで、学校のクラス番号は忘れてしまいましたし、担任の先生の名前もこの前ためしに思い出して記憶し直したくらいです。

あるいは、勤め人だった時のことも、私はもうありありとは思い出せません。嫌なことが多かったのでむしろ忘れようとしているのです。その試みは上手く行き始めているようですが、勤めていた時に感じた理不尽さや苦しさを今ありありと書くことはできないでしょう。むしろ、それについて一歩引いた意見を書くことができる段階にあるのでしょう。

ちなみに、嫌なことを忘れるには、夢に出てくるくらい他のことに集中するというのが良いようです。たとえば、電気工事士の試験を受けようと慣れないことを本気で勉強したときにはそのことが夢に出てきましたし、今は、ブログで書くネタのことが夢に出てきたりします。それによって、嫌な記憶が脇に追いやられて、嫌なことが夢に出てくる頻度も低くなってきています。どうせなら、嫌な記憶を嫌な記憶で塗りつぶすのではなく、自ら望んだ挑戦の辛さで塗りつぶしたいものです。

というわけで、その人がその時に感じたことを正直に表現して伝えるということはとても大切なのではないでしょうか。今の自分にしか書けないことを書く。そういうことに価値があるのだと改めて思いました。

今ほど大量に詳細に各タイプ・段階の人の感情や意見が顕になった時代はありません。それは人の癒やしにもなっているのでは無いでしょうか。

私も、勤めていた時は社畜系のブログを読んで「そうそう」などと同意して癒やされていました。また、脱社畜系のブログをみて環境を変える勇気をもらったりもしました。

ネットでは、しばしば「炎上」が起きているのを目にします。もしかしたら、炎上も、様々なタイプの人の感じ方や意見を顕にするという意味で、世の中の役に立っているのかもしれません。