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煩悩退散!

シンプルライフを目指しています。なのに煩悩(物欲・食欲・承認欲 etc.)は尽きません。そんな煩悩をここで吐き出して成仏させようとする試み。

犀(サイ)の角のようにただ独り歩め

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この言葉は、原始仏教の経典である『スッタニパータ』に出てくる言葉です。

最近、『ブッダのことば』という本を読んでいます。これは、原始仏教の経典の一つである『スッタニパータ』を日本語訳した本です。

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

 

犀の角のようにただ一人歩め

第一章 蛇の章の三「犀の角」では、「〜。犀の角のようにただ一人歩め」という形式で、教えが繰り返し唱えられています。リズムがあり、一種の詩として作られているように思わせます。読んでいると、いい気分になってきます。

原始仏教の経典は、一般の人々に分かりやすくて覚えやすいような言葉で書かれています。お釈迦様は死ぬときに、弟子に自分の教えをお経にして広めても良いかと問われ、皆が分かる言葉で書くようにと言い残したそうです。

この『スッタニパータ』などは、動物や植物など身近なものを例えに出したりして、一般の人に理解しやすいよう書かれています。また、当時の人々の既存の信仰や風習を前提に、それらも引き合いに出しながら書かれていて、仏教が新しい思想として広まろうとしていた当時のダイナミックな動きが想像できて興味深いです。

さて、この「犀の角のようにただ一人歩め」という言葉について。これは、悟りを求めて修行するものは、犀の角が一本しかないように、一人であっても道を追求せよということを言っているものとされています。

広まらないことを運命づけられた教え?

この「犀の角」節では、愛情も家族も執着となるし、友も相当レベルの高い者でなければ交わるなと言っています。それはちょっと厳しすぎるんじゃない?と思います。

皆が、この教えに従ったら、子供もできないでしょうから、人類は地球上から消滅してしまうかもしれません(人類全員が悟ることができたら、執着の無い愛や家族が新たに生まれるのかもしれませんが)。

なんとなく、教えが広く社会に広まることに自らブレーキをかけているような、そんな印象を受けます。

実際、オリジナルに近い仏教はそれほど世界には広まっていません。厳しすぎたのだろうとおもいます。

何かを成し遂げようとする人の励みにもなる

一方、この犀の角の教えは、悟りを求める仏教の修行だけでなく、色々な事を成し遂げようとする人にとっては、励みになる言葉だとも思いました。

新しいことをしようとする人には、大抵、反対者や攻撃者が出てきます。さらには、自分の他には1人も理解者がいないこともあるかもしれません。

そんな時でも、なにかを成し遂げようと思ったら、独りだとしても進まなくてはならなんだ、それで良いんだという勇気をもらうことができます。

まとめ

すべての人が人生の全ての場面でこの厳しい仏教を信じていたら、人類は滅んでしまうかもしれません。しかし、人生の適切な時期に取り入れてみることには利点も大きいのではないでしょうか。