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煩悩退散!

シンプルライフを目指しています。なのに煩悩(物欲・食欲・承認欲 etc.)は尽きません。そんな煩悩をここで吐き出して成仏させようとする試み。

【読書】外山滋比古『乱読のセレンディピティ』: 乱読を体験させてくれる本?

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Kindleの月替りセールで買ってあった、外山滋比古著『乱読のセレンディピティ』を読んでいました。本書では、精読や速読に代わって「乱読」というものを勧めています。

乱読のセレンディピティ (扶桑社BOOKS)

乱読のセレンディピティ (扶桑社BOOKS)

この本、どう評価してよいか分からないというのが、正直な気持ちです。

まず、日本語がわかりにくい箇所が多いです。この前読んだ『日本語作文の技術』の悪文の例に出されてしまいそうな文です。

著者独特の文体なのか、他の著作を読んだことがないので分かりませんが、このわかりにくい文体が、逆に「引っ掛かり」を作っていることも確かです。狙ってやっているのかもしれませんね(ちなみに、著者は英語に浸かりすぎて一時期日本語を「忘れた」そうです)。

また、本書は、3〜4行だけ読むと、なるほどな、面白い視点だな、有用そうだなと感じることが書いているのですが、もう少し広い範囲までを読むと、著者が結局何を主張したかったのかよく分からなくなるといった印象の箇所が多いです。

しかし、個々の部分は、面白い視点だなと思ったことが多いのも事実です。

個人的に、印象に残ったもの挙げてみます。

  • 人は得体の知れない遠いものから、誤解とともに深い教えをうけることができる

これは確かにそう思います。身近な人の教えは、その人のアラの方が目立ってしまい、素直に受け入れることが難しいことが多いですね。

  • 禁書の方が推薦される本より面白そうに思われる
  • よくわからないものを面白いと錯覚することがある
  • 若者の読書離れを止めたければ、読書を禁止してはどうか

確かに、人は隠されているもの、よくわからないものに惹かれます。

隠されているものの方に、真実があるのではないかと考えるように遺伝的にできているのではないでしょうか。だからこそ、自然の法則を見出すことが可能になり、発展したのだと思います。

冒頭で書いた通り、本書の文章は決して分かりやすいものではないのですが、それが、上の「よくわからないものを面白いと錯覚することがある」ということを体現しようとして狙ってやっているとしたら、この著者は策士ですね。

  • 難解な本でも繰り返し読めば意味が分かるようになるというのは、わからない部分を自分の意味で埋めるからで、錯覚である。
  • 何回も読める本は、そういうことができるという意味で面白い本なのである。

著者は、だから、同じ本を何度も繰り返して読む精読に意味はあるのかと問います。

  • 本を読んで大事なことをノートしておこうというのは欲張り。心に刻まれないことをいくら記憶しておいても何の足しにもならない。

  • 本を読み過ぎると、知的メタボになって、思考力が落ちる。

  • 知識をとるか、思考をとるかの二者択一である。

読み方、受け取り方を注意しないといけないということだと思います。

  • 書き言葉よりも話し言葉の方が大きな意味を持っている

何でも、西田幾多郎は「論文の優れている人と、講演の優れている人と、どちらが優れているか」と問われて、「講演の優れている人」と答えたとか。

  • 意味が分からない外国語の文をネイティブの人に音読してもらうと意味がよく分かるようになる

現象としては、ありそうです。著者は、その理由を面白い視点で説明しています。

ただ、私は、ネイティブの人が声に出して読む場合、イントネーションやポーズによって文法構造の情報を付加してくれているため意味が取りやすくなっているだけではないかと思いました。

  • 古典は作者ひとりで生まれるのではなく、後世の受容によって創り上げられる。

他にも、色々参考になることはありましたが、このくらいにしておきます。

本書を読んでいて驚くのは、著者が90歳を超えているということです。その歳で、本を書くという知的作業ができているということは、大きな説得力になり得ると思います。

なんというか、良いのか悪いのか分からない本だったなという読後感でしたが、「はっ!もしかして、著者は本書一作で、乱読の感覚を読者に体験させようとしたのではないか!?」ということが頭に浮かんできました。かいかぶりすぎでしょうか。

まとめ

外山滋比古著『乱読のセレンディピティ』を読んだ感想を書いてみました。買って得したなという感じではありませんでしたが、色々考えさせてくれたという点で無駄では無かったように思います。