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煩悩退散!

シンプルライフを目指しています。なのに煩悩(物欲・食欲・承認欲 etc.)は尽きません。そんな煩悩をここで吐き出して成仏させようとする試み。

自分と同じ意見を見つけてもあまり嬉しくない理由

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世の中には、色々な事について、様々な意見が飛び交っています。その中には、自分と同じような意見もあれば、違う意見もあります。最近、思うようになったのが、自分と同じ意見を見てもあまり嬉しくないなあということです

自分と同じ意見を見ても嬉しくない

少し前までの私は、ネットなどで自分と同じ意見をみると、「そうだ、そうだ!」と嬉しくなったものです。

しかし、最近では、自分と同じ意見をネットで見かけても、それほど嬉しく感じません。

何故なら、人の意見と言うものは、とかく、その人のその時の立場や性格に強く影響されるということが体感として分かったからです。

人は、正しいか正しくないかよりも、自分に得になるかどうか、自分が好きかどうかで、意見を持つことが多いのです。

そのことがよく分かったのは、前の職場を辞めてからです。

辞めてみて、自分の意見というものが、前の職での立場や境遇に如何に影響され、歪んでいたかということが分かったからです。

辞めた途端に、それまでと感じ方や意見が180度変わったことが多くありました。

例えば、前職と同じ職業に対して、昔はそれが持ち上げられれば嬉しくなったし、攻撃されれば反発の感情が芽生えていたのに、いざ自分がその職をやめてみると、今度は前職の職業をしている人や、内情も分からずに持ち上げる人を見たりすると、嫌悪感のようなものを感じるようになったのです。

しかし、これは、どちらが正しいというわけではなくて、単に立場の違いから生じる意見の違いなのだと分かったのです。

また、意見の違いには、性格の違いも関係してきます。例えば、この前、紹介した内向型・外向型という違いも意見の違いとして現れるでしょう。

内向型の人は、パーティーで馬鹿騒ぎするのは馬鹿らしいことだと思うでしょうし、逆に外向型の人は、パーティにも行かず家でじっとしているのは馬鹿だと思うかもしれません。

こういった立場や性格の違いによる意見の相違は、避けようがないのです。そして、分かり合えることもあまりないのです。

自分と同じ意見も、違う意見も、どちらも大したものではない

そんなことを考えるようになってからは、ネットなどで自分の意見と同じ意見を見ても、それは、単に、自分と同じような立場・境遇や性格の人が持つ、一つの意見にすぎないのだと強く感じるようになりました。

同じように、自分と違う意見を見ても、「ああ、自分と違う立場・境遇・性格の人がいるのだな」と一歩引いて見るようになりました。

あの人も、本当にその意見を持っているのではなく、立場に言わされているだけかもしれない。そういう性格なのかもしれない。そう思えるようになったのです。

つまり、どちらの意見も、そんなに大したものではない可能性が大きいのです。だから、もはや自分と同じ意見を見つけてもそれほど嬉しくありません。

真実をどうやって見つけるか

しかし、自分の意見と他人の意見が、このように立場や性格によって歪められているとしたら、真実はどのように見つければ良いのでしょうか。

一つの方法として、「自分と意見と、自分と違う意見の共通部分を取る」ということが考えられるのではないでしょうか。

対立する両者が、それでも、共通して同意できること。真実というものは、そこら辺にあるような気がします。

やり方としては、自分と反対の意見を言っている人の発言の中で、それでも、ここの部分は確かにそうだなと言える部分を探してみるというのは、一つの方法なのではないでしょうか。

まとめ

私が、ネットで自分と同じ意見を見つけてもそれほど嬉しくなくなった理由を書いてみました。こんな風に考えると、心も穏やかに、冷静になれるのではないでしょうか。