幸せとは何でしょうか? それは、人それぞれ違うでしょう。しかし、幸せを感じる心・技術を持たなければ、それそも幸せは一生やってこないのではないかと感じ始めています。
何を幸せと感じるか 私自身の場合
そもそも幸せになるためには、自分が何を欲しいのかを把握する必要があります。それには、「自分が何に対して妬ましく感じるか」をよく思い返してみるのは、いい方法です。というのも、妬ましく感じることは、自分が求めているということの裏返しであるとも考えられるからです。
思い返してみると、私の場合は「何をしているにせよ、幸せそうに楽しそうにやっている人」に妬みの感情を感じることが多いことに気づきました。
もちろん、金銭的成功や社会的成功にも多少の妬みは感じますが、その人が貧乏だろうとも、その人が自分の目標を達成できていなくとも、その人が楽しそうにしているならば、それが妬ましかったのです。
そうすると、自分の場合は、幸せそうにすることが幸せであるということになってしまいます。問題が一層難しくなってしまったように感じます。
ただ、ここで注目しなければならないのは、幸せそうにすることは、幸せを感じていなくてもできるということです。傍目には幸せそうな人の内面が幸せだとは限りません。それは他人にはわからないことです。
一方、最近の研究では、楽しいから笑うのではなく、笑うと楽しくなるという逆転現象が人間の心理にはあることが確認されています。そうすると、楽しそうにしている人の内面は本当に楽しいのかもしれません。
ということで、私は、とにかくなんでも楽しそうにしてみようと心に決めて生活をすることをしばらく前から始めています。
そして、楽しそうだから楽しいというのは結構ありそうだと最近感じ始めています。
幸せに対する欲に限りはあるか?
もし、私が楽しそうにする結果として実際に大きな幸せを感じるようになったとして、それで終わりなのでしょうか。
仏教では、世の中は一切苦役であるといいます。そして、その原因は欲・満足しない心であるとしています。そして、そういう欲から開放された状態を悟りと呼びます。
そうすると、普通の人が幸せになったら、もっと幸せになりたいという欲が出て、更に大げさに幸せそうにする必要がでて、それで消耗し疲弊してしまうのかもしれません。
幸せを感じる技術を習得した後には、満足する技術を習得する必要があるのかもしれませんね。
さらに、満足と無気力の違いも気になりますので、これについても考えていきたいと思います。
まだまだ、やることはあります。