最近「ゲーテとの対話」という本を良く読んでいます。この本にはゲーテの名言がこれでもかと出てきます。今日は、その中で少し引っかかった言葉について書いてみたいと思います。
悪いものを悪く言うことは無意味である
ゲーテは、この本の中でしきりにイギリスの詩人バイロンについて言及しています。ゲーテはバイロンの才能を認めながらも、反対と非難とを好む彼の性格が彼の作品さえも損なっていると言っています。
そして、次のように言います。
悪いものを悪いと言って、何の利益になるだろう。しかし善いものを悪く言えば非常な害になるよ。いい影響を与えようと思う人は、非難などせず、誤れることも全く気にしないで、絶えず善いことのみをしなければならない。
私は、この言葉を聞いて確かにそうだなと感じました。そして、自分のツイートなどでは悪いことを悪いと言うことを極力やめてみようと決意したのでした。実際そうしてみると、自分のTLが明らかに綺麗になり、心地よさを感じるようになりました。
上の言葉をもう少し考えてみます。全ての可能性を考えると、人は、発言するときに
- 悪いものを悪いと言う
- 善いものを悪いと言う
- 悪いものを善いと言う
- 善いものを善いと言う
の4種類の発言を行うことができます。3.は詐欺ですので、やらないのは当然ですね。そうすると、ゲーテは、1.は無利益であり、2.は害であるから、4.のみを行おうと言っているわけです。1.が必要と思ったとしても、よくよく考えてみると、その対極にある4を行うことでも同じ目的は達成できるかもしれません。
実際の人びとの発言は、実際はもっと複雑です。
- 「悪いものを悪いと言う」人を悪く言う
- 「善いものを悪いと言う」人を悪く言う
- 「悪いものを善いと言う」人を悪く言う
- 「善いものを善いと言う」人を悪く言う
- 「悪いものを悪いと言う」人を良く言う
- ...
という具合に、どんどん入れ子になっていきます。しかし、ゲーテの言葉に従えば、対象が何であれ「悪く言う」時点でそれは無利益ということになります。
残る2つの疑問
ただ、この言葉に対しては、2つの疑問があります。
まず、善いものであるかどうかは誰が決めるのでしょうか。最近読んだ下の本では、仏教の教えからすると、無駄に判断すること自体が苦の原因であると言っています。

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そう考えると、ゲーテの言葉の「誤れることも全く気にしないで」の部分が実は重要なのではないかと思えてきます。つまり、自分の善悪の判断は独断であり、間違っている可能性はあるが、それでも、それは恐れずに自分が善いと思ったことを取り敢えずは判断して行おうということです。
次の問題は、ゲーテのこの言葉自体が「悪いことを悪いと言う」のは悪いという形の批判になっていることです。これは、自己矛盾です。しかし、個人を直接批判するものよりは一段メタな批判ですので、そのぶん害悪は少ないかもしれません。
世の中で一つだけ批判をしなければならないとしたら、これがその批判なのかも知れません。
まとめ
「悪いものを悪いと言ってなんになるだろう」というゲーテの言葉について考えてみました。
もちろん、ゲーテは神様ではないし、全て正しいことを言っているわけでもないでしょう。誰かが悪いことを悪いと言う役を引き受けなければならないと思う人もいるでしょう。
しかし、私には、このゲーテのこの考え方の方が、生き方の良い処方箋のように感じました。
私の心の修行は、まだまだ先が長そうです。