大体、人っていうものは、調子の良い時にはそんなに積極的に学びに行こうという気持ちになりません。「勝って兜の緒を締めよ」という諺があるのも、それが難しいということを教えるためだと思います。
苦しい時こそ学び時です
一方、人は自分が辛い時や苦しい時には、積極的に学びたくなる性質をもっているようです。少なくとも、私はそうです。藁にもすがる気持ちで、本を読み漁ったり、映画を見たり、音楽を聞いたり、学校に通ったみたり。何か、そこにヒントを見出そうとして真剣です。
人は、自分が重要と思うものしか見えないというのは、この前も書きましたが、恐らく真実だろうと思います。
自分が辛い時だからこそ、もっと言うと、その時にしか見えないものがあります。ですから、辛い時には、ある意味「しめたものだ」と思って、積極的に学べば良いのです。
私が、ここ最近、古典や、瞑想やら仏教やらの本を読み漁っているのも、辛いからなんだと思います。若い時のような差し迫った辛さではないけど、これからの人生、自分はどう生きたら良いのか、生きたいのか、いまいち固まっていないという漠然とした辛さです。
ということで、私はこの機会を、積極的に利用しようと思っています。
辛さに付け込まれないようにする
しかし、辛い時の学びには、少し注意が必要かもしれないとも思っています。
と言うのも、藁にもすがる気持ちでいるときには、怪しい商売や怪しい宗教とかに引き込まれる危険性も大きくなっているとも考えられるからです。
つまり、辛い時に心を完全にオープンにして学んでしまうのもそれはそれで危険なのです。
強く学ぶということは、自分を大きく変える可能性があるわけで、良い方向に変わるのであれば良いですが、変な方向に行ってしまった場合は害が大きくなります。
これを防ぐ方法は、はっきり言ってわからないのですが、取り敢えずは下のように考えています。
いくら辛くても、同時に、これまでの自分に自信を持つ。そして、人の辛さを利用する怪しい誘いにはついていかないようにする。
そのためには、自分はいま辛い状況にあるということに気づくことが、まずは、重要なのではないでしょうか。自分自身の観察・モニタリングか大切ということですね。
本当は、幸せな時の学びが最上だろうなあ
以上のようなことを私は今思っているわけですが、とはいったものの、本当は、幸せな時に辛い時と同じくらい真剣に学べるならば、それが最上なのではないかとも思っています。
私は、これまでの人生で、残念なことにそれはできなかったように思います。幸せにあぐらをかいていたというわけです。
しかし、冒頭で「勝って兜の緒を締めよ」の諺を出した通り、それはそもそもとても難しいことなのだと思います。
なので、今辛くない人・幸せな人には、是非その最上の学びを目指して見ていただきたいと思います。