『ゲーテとの対話(上)』を読み返していたら、創造的な仕事についてゲーテが言っていることが心に残ったので紹介したいと思います。
『ゲーテとの対話』は、著者のエッカーマンがゲーテと過ごした日々を日記形式で綴ったものです。ゲーテは既に晩年を迎えていて、人生で学んだことを、若いエッカーマンに教訓として伝えています。
そのなかに、創造的な仕事に関して、これは良いなと思える記述がいくつかありました。
報酬をもらう仕事はほどほどに
どんな分野でも、若い時には、自分の理想とか興味にしたがって創作ができるものではないでしょうか。まだ無名なため、報酬をあらかじめほとんど貰っていませんので、誰にも気兼ねなく創作ができます。
良い作品や研究には、その人の第一作目くらい、学生の時くらいのものが多いような気がします。
一端、作品が認めれるなどして有名になると、「報酬を払うから仕事をして欲しい」という依頼が舞い込むことになります。普通の人だと、「就職」がそれにあたるでしょう。
しかし、ここでお金に目がくらんでホイホイと仕事を受けていると、本来の仕事をする時間が無くなって後悔することになります。これには、仕方のない面もあって、無名の時のお金がない辛さが身にしみているので、ついつい受けてしまうのですね。
お金をもらっている以上、自分の本来の興味に多少合わなくとも、我慢してやらなくてはなりません。しかし、そういうことを続けているうちに、本来の創作の時間を浪費してしまうことになるのです。
ゲーテの言葉
ゲーテは、これに関して、次のような事を言っています。
例えば、
まず君が小さい題材を、日々君に提供されるような事を、 絶えずすぐ作っ ていたら、大抵立派なものができるだろう。 そして毎日を楽しく暮らせる だろう。 何よりまずそれを年鑑や、雑誌に書きたまえ。 しかし、他人の 依頼でしないで、 たえず君の思うままにやるようにしたまえ。
この部分は、読みようによっては、ブログを書くことを薦めているようにも読めますね。まさにブログは(予定された)報酬も受けず、自分の思うままに書くものですから。
また、次のようにも言っています。
私の真の楽しみは、 詩的な瞑想と詩作だった。 しかしながら、 これもまた私の外的な地位のためにどんなに撹乱され、 制限され、 妨害されたろ う。 もしも公の職務上の仕事から、もっと遠ざかり、もっと孤独のうち に過ごすことができたら、 一層幸福でもあり、 また詩人としてもさらに 多くの事をしただろう。
…
まもなく、 一人の賢人の言葉が私において証明された。『人が一度世間 のためになるような事をしたら、世間の人はそれを二度とさせないように するものだ。』
ゲーテも、有名になった後は、世俗的な仕事に追われることになります。
若い時に本当に良い仕事をしていた人が、ちょっと年をとると、無駄な仕事に追われて本来の仕事ができないでいるのを私もしばしば見かけました。そして、それを嘆いているだけで、そのうちに、その状況から積極的に脱しようともしなくなってしまう人がほとんどでした。
恐らく、嘆いているうちに年をとって、創作への意欲自体が衰えてくるのです。私も人のことは言えません。
ですから、若くてまだ嘆く力があるうちに、そのような状況を積極的に脱しなくてはいけないのですが、悪いことに、そのくらいの年代は結婚や子供ができたりという年代でもあり、さらにお金が必要になって、知らないうちに身動きが取れなくなっているということが多いように見受けられます。
創造的な仕事をしたいならば、このことをよく考えて、自分を良くコントロールする必要がありそうです。
ゲーテは次のようにも言っています。
君は困らないだけの金をつくる事が大切だ。 それを君はすでに始めたイギリスの語学と文学との研究で得られるだろう。 それを続けたまえ。
お金は、必要最小限で良いのです。それ以上のお金を得ようとする仕事は、創作にはむしろ邪魔になります。
本当にそんなにお金を稼ぐ必要があるのかは、よくよく考える必要がありそうです。
まとめ
創造的な仕事についてゲーテの言葉を元に考えてみました。まあ、ゲーテでさえも後悔したくらいですし、ゲーテはそれでも立派な創作をしたのですから、それが人生というものかもしれません。