前の記事を書いていたら、キー操作を誤ってブラウザで違うページに飛んでしまい、そこまでに書いていた下書きがパーになってしまいました。
これまでの作業が無駄になった悲しさと、また同じものを書かなければならない苦痛と、そして、消えたものと同じくらいの出来の記事を復元できるかという不安が入り混じって、なんとも言えない気分になりました。
はてなブログを初めて、三回くらいはこれにあっているので、やはり記事の原稿は別のエディタで書いた方が良いのかもしれませんね。
後戻りは苦痛である
話を本題に戻しますと、このような感情を持つのは、私だけでは無いと思うのです。端的に言うと、後戻りが大嫌いなんですね。
別の例で言うと、快速電車で自分の目的地の先の駅まで行ってから数駅戻る方が早いルートだとしても、多少時間がかかるが後戻りのないルートで行きたい、そんな感じです。
しかし、最近思うのですが、この後戻りが嫌いという心理は、心の修行が足りないから起きるのではないでしょうか。
この前、下の記事で書いたりしましたが、人生では、一端低い所に行かないとさらなる高みに行けないということは良くあります。
後戻りを利用する
最近、村上春樹の下の本を読み始めたのですが、村上春樹はデビュー作の小説『風の歌を聴け』を書いた時、最初の原稿が気に入らず、一章分をいったん英語に訳して、それを更に日本語に訳すということをしたそうです。
その結果、自分の新しい文体を獲得し、それにしたがってさらに全体を書き直したそうです。とてつもない後戻りをやったわけですが、結果として、その作品で新人賞を獲得して、小説家としての道を歩み始めたのです。
たかが500文字くらいの下書きが無くなったくらいで「うわー」となっている自分が情けなくなります。下書きが消えても、「もう一度書けばもっとしっかりした記事がかけるぞ」と思えるくらいにならないとだめですね(まあ、村上春樹でも原稿を無くしたら心が折れていたのかもしれませんが)。
まとめ
後戻りすることの苦痛について書いてみました。これからは後戻りを許容できるように少しずつでも心を鍛えたいなあと思います。