ここ数日、なんとなく浮ついているというか、日々の充実感がありません。そこで、日々の充実感ってなんだろうと、少し考えてみました。
現状の分析
まず、ここ数日の充実感の無さの原因が何か考えてみます。
打つ手が無くなった
まず一つ目には、ブログの設定や執筆環境の整備に関して、やってみたいと思っていたことを取り敢えずやってしまったということがあるんじゃないかと思います。
つまり、下の記事で書いたような「次に打つ手が無い」状態になってしまっているわけですね。記事では偉そうなことを書いておきながら情けないですが、なかなか実践するのは難しいということでしょう。
ただ、この記事を書いておいたことで、このように自分の状態を分析することができました。これはブログを書いていることの利点ですね。
やりたいことが分散しすぎている
二つ目は、やりたいことが分散しすぎてしまったということもあると思います。
ブログを書き始めてから、どうも脳が活性化されたようで、色々な事に興味が出てきました。そして、本もたくさん買って読むようになりました。
しかし、一日にやりたいことが多くなりすぎて、でも全てはできなくて、もどかしい気持ちになることが多くなりました。時間と気力が足りない感じです。
買った本も積読状態になりかけています。
自分のできる範囲で着実に行なっていく
ちょうどこんなことを思っていた時に、TLで見かけた下の記事を読みました。
この人すごかったなぁ //「やりたい仕事」って錯覚かも 僧侶・小池龍之介さん:朝日新聞デジタル https://t.co/QsxAk7eRKB
— えふしん / BASE (@fshin2000) 2016年4月19日
仏教の考え方をもとにした数々の著書を書かれている小池 龍之介さんのインタビューです。
特に、この記事の中の下の言葉が私の今の状況に対する解決策を言っている!と思いました。
「はい。仏教には常に精進しなさいという考えがあるからです。適切に精進するために自分の力を見極めたら、それ以下にセーブするのは怠慢です。かといってそれ以上の力を出そうとしたら疲れ果ててしまう。それも適切ではない。自分がクタクタにならずに済むのはどのジャンルで、どのくらいまでならできるか、を理解した上で常に限界まで力を出す。すると毎回達成できたという心地よさが維持できて、自己嫌悪に陥るとか、やる気がしないからその前にちょっと休憩しようとか、そういう循環に陥りません」
ここを読んで、ああなるほどと思いました。こういうことを、さらっとアドバイスできる人は凄いと思います。
自分が今の力で一日に出来ることをわきまえて、簡単すぎず、しかし、難しすぎない目標を日々設定して、生活していくというのが良いのですね。
そして、それは精進と呼ばれます。逆に言うと、実行するのがなかなか難しいということだと思いますが、やる価値はあるということですね。
この考えを頭に入れて実行していけば、この倦怠期を脱せそうな気がしてきました。
まとめ
ここ数日、日々の充実感が内容に感じたので、日々の充実感について考えてみました。自分の力をわきまえて、日々の目標を適切に設定するということが鍵のようです。

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