皆さん、漏斗(じょうご、ろうと)という道具をご存知ですか? 朝顔の花の形のように、先が細くなっている道具です。下のイラストの様な感じです。この漏斗は、何かを瓶などの入り口が狭いところに入れる際によく使われます。
漏斗はそこそこ便利だが…
私も、胡麻とか胡椒を挽くミルに入れるときに使うと便利だなと思ってこれまで漏斗をよく使ってきました。
しかし、この漏斗には欠点もあります。特に胡麻や胡椒などの固体に対して使おうとした時に、一度に流し込む量が多すぎると、細くなった首のところで詰まってしまうのです。
一端そうなってしまうと、揺すっても元に戻らず、漏斗を逆さまにして詰まったものを取り除く必要があります。大抵、その時にこぼれてしまい、「もう!」となるのです。
今日もそんなことがありました。そして、考えました。
漏斗は何かを細い所に流しこむには便利だけれど、実は、固体のものを流しこむには不向きなんだなと。もちろん、何も道具を使わない時に比べると、気をつけて使いさえすれば各段に便利なのですが。
つまり、私は漏斗の本当の長所を見誤っていたのです。漏斗の本当の長所は「液体を」細い所に入れることなのです。
私には、この漏斗の例が次の二つの教訓を示唆しているように感じられました。
長所を見極めることの重要性
一つ目は、長所を見極めることの重要性です。
上の漏斗の例のようなことは人生でもよくあるんじゃないかと思うのです。例えば、計算が得意な子供がいたとします。しかし、その子供は本当に計算が得意なのではなくて、ただ単に他の子供より「注意深い」から計算が得意なように見えているのかもしれません。
それなのに、その子供がいっけん他の子供より計算ができるからといって、それだけで理系だと進路を決めてしまうと、その子供は将来悩むことになるかもしれません。本当は、注意深さが必要な別の仕事、例えば、弁護士が向いていたのかもしれないからです。
ほどほどにしておくことの重要性
二つ目は、何事もほどほどにしておくことの重要性です。
上の漏斗の例から分かるように、いくら得意なことでも、処理能力を超えた量が入ってくると、途端に機能しなくなることがあります。
人間だって、いくら得意なことだとしても睡眠時間を削ってまでしていたら体がいつかだめになりますよね。
まとめ
漏斗を使っていて失敗したときに思ったことを書いてみました。日常のどんな些細なことでも、そこから何かを考えてみるというのは、ブログを書くようになってからよくするようになりました。これはブログを書くことの利点の一つかもしれません。
ちなみに、胡麻や胡椒をミルに入れるには、おそらく、紙を軽く谷折りに折って、その谷の部分を目的の入り口に置いて、そして目的の物を紙の谷に沿って流しこむのが、漏斗を使うよりも良いのではないかと思い始めています。