原始仏教の『ブッダのことば』を読んでいると、釈迦の教えは、当時の悪習や迷信を断つという意識がかなりあったのだろうということが感じられてきます。今日は、そんなことを示す言葉をいくつか紹介したいと思います。

- 作者: 中村元
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1958/01/01
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牛を殺してはならぬ
『ブッダのことば』の「小なる章」に「バラモンにふさわしいこと」という節があります。
ここでは、釈迦が、富豪のバラモンの「今のバラモンは昔のバラモンの教えをちゃんと守っているか」という問に対して、答えています。
296 母や父や兄弟や、また他の親族のように、牛は我らの最上の友である。牛からは薬が生ずる。
297 それら(牛から生じた薬)は食料となり、気力を与え、皮膚に光沢を与え、また楽しませてくれる。(牛に)このような利益のあることを知って、彼ら【=昔のバラモン】は決して牛を殺さなかった。
そのようなバラモン達も、時代が下るにつれて次第に堕落し、財を求め、王に祀り(まつり)のために牛を殺させるようになります。
311 昔は、欲と飢えと老いという三つの病があっただけであった。ところが諸々の家畜を祀りのために殺したので98種類の病が起こった。
312 このように(殺害の)武器を不法に下すということは、昔から行なわれて、今に伝わったという。何ら害のない(牛が)殺される。祭祀を行う人は理法に背いているのである。
現在では、多くの病気が動物から人間に伝染するということが知られています。特に、殺すために血と接触することはその危険性を増したでしょう。釈迦は、既にそのようなことを見抜ていたと言えるのかもしれません。
そして、牛は何の害もないどころか(生きたまま)人間に利益を与えてくれるのですから、牛を殺すというような悪習は止めましょうと言っているのです。
占い・予言はしてはならぬ
また、『ブッダのことば』の「小なる章」の「正しい遍歴」という節には
360 師はいわれた、「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともに捨てた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう」
という言葉があります。
釈迦は、占い・予言の類は害が大きいということを当時から見抜いていたのですね。特に、注によると、天変地異が起きたのはこれこれのせいであるとか、このことによってこれが起きるといって因果関係を占うことを言っているようです。
確かに、そういう占いは、現代でも害が大きい気がします。
また、瑞兆、吉凶と、「良いこと」も「悪いこと」も両方占っては行けないと言っていることも興味深いです。良いことを予言するならいいような気もしますが、世の中、安心させておいて実は…というケースもありますから、そういうのも実は悪いんですね。
ちなみに、仏教だけでなく、キリスト教、イスラム教も占いを禁じています。これらの宗教が生まれた時期に共通する問題意識や社会の要請があったのかもしれませんね。
これらから分かるのは、釈迦の教えというのは、当時の悪習や迷信(占い・予言)に対抗するものであったのだなということです。
もちろん、何か新しい思想というのは、既存の考えを「悪習」や「迷信」ということにして否定しがちだとも思いますので、そこは割り引いて考える必要もあるかもしれません。
しかし、それにしても、この『ブッダのことば』を読んでいると、釈迦という人は人間や社会に対する卓越した観察力や洞察力を持っている人だったのだなということが良く伝わってきます。
まとめ
原始仏教の『ブッダのことば』から分かる、悪習や迷信を断つという意識について書いてみました。前々から言っていますが、この本は人間観察・社会観察・自己啓発の"古典"と言っても良く、オススメです。興味のある方は是非読んでみてください。