Kindleのオーナーライブラリで無料で借りることができる本の中に、この本を見つけて、借りて読んでみました。 禅といえば、「座禅をひたすらする」というくらいしか知識が無かったので、この機会にどのようなものなのか知りたいと思い、本書を手に取りました。
アメリカでの禅ブームの立役者
本書は、アメリカに禅を広めた功労者のひとりである、鈴木俊隆老師の言葉を著した『zen mind bininner’s mind』の日本語訳です。
鈴木俊隆老師は、曹洞宗のお寺で修行をし住職を務めた後、1956年にサンフランシスコに渡り、それから12年間の間、アメリカで禅が広まる基礎を築いた方です。
最近、瞑想(ヴィパッサナー瞑想)の本を読んだりして、瞑想や仏教に興味を持ちはじめているので、昔から日本で行われている座禅という瞑想について知りたくなるというのは、自然な流れだと思います。
アマゾンの本書の説明には、「スティーブ・ジョブズも愛読した禅の書」とも書かれていて、そういう面からも興味を持ちました。
禅と瞑想
本書を読み進めていくと、禅の座禅と瞑想とはほとんど同じものであると、個人的には感じました。
源流はブッダの悟りと教えなのですから、当然なのですが、特に座禅は、最近流行りのマインドフルネスやヴィパッサナー瞑想と似ているように感じます。
マインドフルネスという言葉は本書の中でも既に使われているので、歴史的には、アメリカでは、禅→マインドフルネスという発展をしたということなのではないでしょうか。
ただ、本書を読んだ限りでは、マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想が、瞑想の具体的方法を説明するのに重点を置くのに対して、禅は、もう少し広い、座禅や瞑想をする上での心構えや、生き方の指針を示すのに重点を置いている様に感じました。
ビギナーズ・マインド(初心)の重要性
本書のタイトルにも入っているこの言葉は、本書が禅の初心者に向けて書かれたという意味ではありません。ビギナーズ・マインド「初心」こそが禅が理想とする心の持ちようであるということをいっているのです。
初心とは、なにものも受け入れる用意がある素直な心です。まさに、初心者が、素直に、偏見なく学ぼうとする時の態度です。
そして、この初心を保つことはとても難しいのです。「初心忘れるべからず」という言葉があるくらい、重要だけれども、難しいことなのです。そして、初心を常に持つことができるなら修行は完成しているとも言えるのです。
あまりにも技術が巧みな人は、ある段階から先へ進むのに、壁にぶつかるのです。これは、芸術でも、また禅でも、いえることです。
勉強して経験を積んで何かの専門家になっても、いつしか考えが硬直してしてしまうという危険性は良くあります。そして、それは、「飽き」にもつながります。
初心を持つことは、そういう意味で理想の状態だと思います。私も、常に初心を心がけたいものです。
悟ることを目的としてはならない
これは、よく聞く言葉かもしれません。悟ることを目的に修行しているうちは、悟れないし、私は悟ったと思っているなら、悟っていないと言われます。
自分が良い夫だと思っている人は良い夫ではないし、自分が賢いと思っている人は、賢くないということですね。
思考の痕跡を残さない
本書を読んでいて、この「思考の痕跡」という言葉が妙に心に残りました。
行動する前に考えると、思考の痕跡がとどまり、一つのことに集中できません。思考の痕跡に対して執着が生まれてしまいます。理想とするのは、そのような心の痕跡を残さず、シンプルに透明な心をもって行動することです。
今行っていることに、心と体の全部で、完全に集中するべきです。
禅は宗教も宗派も関係ない
本書で老師は、禅は宗派や宗教の違いには関係なく行えるということを、強く主張しています。実際的な心の持ちようを鍛えることだからです。この言葉は、なかなか心強く感じました。もちろん、そういう考えを認めない宗派や宗教もあるのかもしれませんが。
まとめ
『禅マインド ビギナーズ・マインド』をKindleオーナーライブラリで借りて読んだ感想を書いてみました。借りて読んでみて良かったと思える一冊でした。
「本は身銭を切って買うべきだ」とよく言われますが、最近私の心に残った本は、何故か無料で借りられるオーナーライブラリで借りた本であることが多いです。『自分を変える気づきの瞑想法』もそうでしたしこの本もそうです。意外と、一月に一冊しか借りられないという制限のせいで、厳選して本を借りることになるからかもしれません。
アマゾンを見ていて知ったのですが、禅を欧米に伝えた人としては、もう1人、鈴木大拙という方がいます。この方の
これらの本も、読んでみたくなりました。