煩悩退散!

シンプルライフを目指しています。なのに煩悩(物欲・食欲・承認欲 etc.)は尽きません。そんな煩悩をここで吐き出して成仏させようとする試み。

革新を生み出す原動力は今の社会は不便であるという若者の過剰な思い込み


そこそこの年数を生きてきて、最近、もう科学技術がこれ以上無理に発達する必要もないのかなあと思うようになってしまいました。

その一番の理由は、今の社会で十分便利に生きていく技術を身につけてしまったからだと思います。

若い時には全てが不便に映る

若い時には、服の着かた、道具の使い方、料理の仕方、掃除の仕方、洗濯の仕方、パソコンの使い方、社会や法律の仕組みなど、なにからなにまで全然知りません。

だから、若い時には、生きることが不便で辛いのは当たり前なのです。

そして、やったことが無いことをやってもみないうちから、面倒くさそうだ、何でそんなことをしなければならないんだ、そうだ、世の中はまだまだ不便なんだ、不完全なんだ、と憤ったりします。

そして、その不便を解消するには、科学技術をさらに発展させなければならない、社会制度を改善しなければならないと考えたりしてしまうのではないでしょうか。

もっとコンピューターや人工知能を発展させて、仕事は全部、機械が完璧に出来るようにするしかない!車も全部自動運転にすれば、事故もゼロに出来る!

こんな、科学技術至上主義に陥ってしまうのです。私も若い時はそんな気持ちが強かったですね。

しかし、それは、少し過剰な反応だとも言えるのです。

技術を習得すれば今のままでも意外と便利

若い時に不便・面倒だと思っていたことも、全てが一気に便利になるわけではありません。人は、生きていく中で、昔ながらの方法も習得していく事になります。

そして、習得してみると、意外と面倒では無かったということが分かることも多いのです。

例えば、私が最近ハマっている生パスタ作り。小麦粉をこねて、寝かして、伸ばして、切るというのは、一見すると、とても面倒に映ります。

しかし、実際に昔ながらの方法でやってみると、何のことはないのです。昔から、誰もができていたことなのです。そんなに難しいことではありません。

なんでそんな面倒なことをしないと、生パスタが食べられないのか。そうだ自動化だ! ということで若者が作り出したのが、ヌードルメーカーです。

自分が不便だと感じるのは、自分の技術の習得が足りないのではなく、科学技術が足りないせいだ、と勘違いすることで、ヌードルメーカーといったものが生まれるのです。

革新の原動力

私は、それがいけないと言っているわけではありません。科学技術や社会を革新していくのは、そういう若者の勘違いの力だと思うからです。

人は、歳を重ねていくうちに様々な技術を身につけていきます(地位も確立し、お金も溜め込んでいます)。そして、ある一定の年齢になると、今ある制度や科学技術で十分便利に幸せに生きていくことができるようになってしまいます。

そうすると、その人にとっては、もう社会や技術を革新する必要はありません。

でも、若者がいる限り、世の中が実際よりも不便だという勘違いがおきて、それを原動力にして、科学や社会が発展していきます。

そして、そうなれば、年寄りもその恩恵を受けます。

多くの年寄りは、若者の新しい試みを「本当にそんなことが必要なの?」といって邪魔するでしょう。若い人は、そんな妨害を振りきって革新を成し遂げて欲しいです。

もちろん、1人の人の中でも、もう満足なこともあれば、まだ不満に思っていることもあります。そういう不満に思っていることに関しては、年をとっても、革新を求める気持ちはまだ残っています。

例えば、私の場合は、生き方についてまだまだ不満がありますので、 「瞑想」とか「スモールハウス」とか「里山資本主義」などの本を読んだりすると、ワクワクします。

まとめ

革新を生み出す原動力について考えてみました。最近、若い時にあったような科学技術至上主義が自分の中でずいぶん衰えてきているのを感じて、それはどういうことなんだろうと分析してみました。