この前、久しぶりに高めの店で外食したのですが、それに対する私自身の感じ方が変わっていたので、そのことについて少し書いてみたいと思います。
美味しいものが当たり前に出てくることは確かに価値あることだけど…
ちょっと前の私は、美味しいものが食べられるなら外食で1万円出しても良いと思っていました。実際、お酒も好きなだけ飲むと、大体そのくらいの値段になっていたように思います。
一つには、そのくらいの自由になるお金があったということがありますし、また一つには、これまで食べたことが無い料理を食べられ、美味しいお酒が飲めるなら、そのくらいのお金を払ってもいいと感じていました。最初の体験で失敗しないために、定評のお店に高いお金を払っていたようなものですね。
沖縄料理、スペイン料理、ふぐ料理… 最初に食べた時には、やはり感動しましたし、とても楽しかった。
しかし、この前行った店で感じたのは、確かに美味しいけど昔感じたような満足感はあまりないなあということでした。
そのお店は食べログなどでもとても評判も高いお店で、私の感じ方が変わってしまったことは明らかでした。
「美味しいものが当たり前に出てくる」
人気の店の人気の理由は、そんな所にあると思うのですが、なんとなく物足りないなと感じてしまったのです。
その料理自体はもう何回も食べたことがあるし、人気の店が美味しいと言っても、10倍の値段で、美味しさが10倍になるわけではありません。せいぜい2倍くらいだと思います。それに家で食べる時の10倍の値段が出せるかなあと、食べながら思ってしまったのでした。
自分で作ることの喜び
私がそう感じてしまうようになった大きな理由に、自炊をするようになったということがあると思っています。
ここらへんは個人で感じ方が違うかもしれませんが、自分で家で自分で料理を作っているほうが、たまに失敗することがあるにしても、上手くできた時の喜びは、店で美味しいものを出されたときの何倍にもなることに気づいてしまったのです。
例えば、最近生パスタを自作しようと挑戦しているのですが、上手くできたパスタを食べた時の喜びは格別でした。
また、昨日のパクチー餃子の記事で書いたように、その材料も自分で自作しているとなると、その喜びはなおさらです。
もともとは節約のために自炊するようになったとはいえ、お金では測れない喜びを得ているような気がしています。
「美味しいものが当たり前に出てくる」から、もう少し別の刺激を求めるようになったということかもしれません。
今の私が行きたくなるような外食店とは、ちょっと冒険した開発中のレシピを出してくる店とか、行く度に味が変わる店といったような店なのかもしれませんね。でも、たまに外れ料理がある店に1万円も払えるかというと微妙です。難しいものです。
初心を取り戻す
あるいは、私が単に刺激に鈍感になって、あらゆることに感動しにくくなったということかもしれません。確かにその傾向は最近感じます。
この前読んだ禅の本『禅マインド ビギナーズ・マインド』には、禅では、「初心」を保つことが重要で、それが禅の目標のようなものだと書かれています。

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毎回、初めてその料理を食べた時のような気持ちで食べられたら、生活はどんなに生き生きするでしょうか。
そこらへんも、少し見つめ直す必要があると感じています。
まとめ
この前、結構評判の店で外食して、思ったより満足感が無かったことから感じたことを分析してみました。今回のことも含めて、最近、ワクワク感が少しずつ無くなっているような気がして、それにどう対抗するかということが大きな関心事になっているような気がします。ここらで対処法を見つけて置かないと、人生後半がとてもつまらないものになりそうで、怖いです。頑張ろう。