煩悩退散!

シンプルライフを目指しています。なのに煩悩(物欲・食欲・承認欲 etc.)は尽きません。そんな煩悩をここで吐き出して成仏させようとする試み。

【読書】宮崎康平著 『まぼろしの邪馬台国』を読みました


『まぼろしの邪馬台国』は、視力を失いながらも、妻の協力の元、在野で邪馬台国の研究を続けた宮崎康平さんの著書で、出版当時(1967年)ベストセラーとなり、邪馬台国ブームの火付け役になったという本です。Huluで同名の映画を見て興味をもったので、読んでみました。

私が読んだのは、1980年出版の改訂版のKindle版です。

まぼろしの邪馬台国 第1部 白い杖の視点

まぼろしの邪馬台国 第1部 白い杖の視点

まぼろしの邪馬台国 第2部 伊都から邪馬台への道

まぼろしの邪馬台国 第2部 伊都から邪馬台への道

上で書いた通り、読んだきっかけは、Huluで何気なく観た吉永小百合主演の映画『まぼろしの邪馬台国』です。

まぼろしの邪馬台国 [DVD]

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何気なく観たのですが、結構面白かったです。

ちなみに、Huluは、最近運営が変わったのですが、その時の対応があまりよろしくなく、私も一瞬解約しようかと思いましたが、BBCとCNNのリアルタイム放送がみられるというメリットの方が勝っているので継続しています。

私は元々考古学は好きな方で、Amazonで原作を探してみると、Kindle版がありましたので読んでみることにしました。

読んでみたところ、大枠は原作と映画は一致していましたが、映画は話が面白くなるように原作を多少アレンジしていたようですね。

さて、よく知られているように、邪馬台国のあった場所については、「九州説」と「畿内説」という2つの有力な説があります。

倭人在帶方東南大海之中 依山㠀爲國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國 從郡至倭 循海岸水行 歷韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里 始度一海千餘里 至對馬國 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離 所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險 多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田 食海物自活 乗船南北市糴 又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴 又渡一海千餘里 至末廬國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈没取之 東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐 東南至奴國百里 官曰兕馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸 東行至不彌國百里 官曰多模 副曰卑奴母離 有千餘家 南至投馬國 水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸 自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國 次有已百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有爲吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡 其南有狗奴國 男子爲王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里 (https://ja.wikisource.org/wiki/魏志倭人伝 より)

という記述で始まる、いわゆる『魏志倭人伝』に書かれている記述に曖昧性があって、どちらの説ともとれるし、どちらの説も決定的に有力というわけではないという訳です。この状況は、本書が出版された後現在になっても変わっていないように思います。

本書の著者は、九州説を支持しています。確かに、この本を読んでいると、邪馬台国は九州にあったほうが自然かなと思えてきます。博多湾と有明海が昔は海がつながっていて、船で行き来が出来たという説もなかなか面白いなと思いました。

著者の思い込みが激しいのではと感じるところや、記述が少し支離滅裂になっているところもあるのですが、何故か、読ませる力があって、一気に読んでしまいました。やはり、著者の情熱というものが文章にこもっているからなのでしょうか。

ちなみに、私は九州の地理に詳しくないので、話についていくのはなかなか大変でした。こちらの国土地理院の電子地図で地名を追いながら読んでいった訳ですが、これが結構楽しかったです。

maps.gsi.go.jp

Google Mapに比べて、国土地理院の地図は川の名前など地名が詳しいので、こういう用途には適していると思いました。また、以前に比べて表示もスムーズになって、使いやすくなったように思います。

それにしても、今回自分がいかに九州の地理を知らなかったかということを思い知らされました。住んだことのない土地についてはそんなものなのかもしれませんが、これほど知らなかったのかと自分でもびっくりです。

ちなみに、本書では邪馬台国の場所を島原付近と比定しています。しかし、著者が島原出身であるということもあり、少し強引でないかととらえられることを著者自身も自覚していたようです。

私も、島原付近にあったという説には少し疑問があって、邪馬台国があった場所なら、現在の島原は周囲の地域に比べてもっと発展した地域となっていてもいいのではないかという気もするのです。

ただ、まあ、昔都があった奈良も今はけっこう田舎ですから、地域の発展が連続すべきというのは正しくないのかもしれません。映画のほうの最後に出てきたあのシーンは、ここらへんの疑問に対する、一つの答えのつもりだったのかもしれません(ネタバレになりますので書きませんが)。

もうひとつの疑問点は、邪馬台国が九州にあったことにすると、当時の徒歩も船も、かなり遅かったとしなければ辻褄が合わなくなるということです(いわゆる「水行十日 陸行一月」の謎)。本書では、昔は道は山道で徒歩も時間がかかるし、船も潮待ち等で思いのほか時間がかかるとして説明しています。

しかし、邪馬台国が周囲の国々を統治していたとすると、その国々の間には、そこそこ整備された道や航路があったはずであり、そうだとすると、徒歩でも一日20~30kmくらいは移動できたような気がするのですよね。そうすると、方角の問題を無視すれば、近畿にあったとするのも理にかなっているように思えてきます。

邪馬台国論争の面白いところは、素人でもこんな感じでいろいろ想いを巡らせることができ、それが、結局、考古学者の人達が悩んでいる所とあまり変わらないということにあるのではないかと思います。

まあ、要するに確定的なことが言えるほどの物証が足りないんですね。考古学の地道な研究は今も進んでいるわけですから、いつか、邪馬台国の場所を確定するくらいの情報量が得られることを期待してやみません。これだけ日本人の興味を引きつける問題ですから、それだけの情報量がまだ現存していてほしいですね。

最後に、文句を。この本はどうもKindle版にする時に、原書にあった図が省かれてしまったようです。文章中に図への言及があるのに、肝心の図がありません。最近他のKindle本でもそうですが、図表の扱いが酷くないでしょうか?省かれていたり、入っていても解像度が低くて読み取れないとか。はっきり言って、プロの仕事とは思えません。場所節約のため最近は本はできるだけKindle版を買うようにはしているのですが、ここだけは不満ですね。

まとめ

宮崎康平著『まぼろしの邪馬台国』を読んだ感想を書いてみました。本書のテーマは、邪馬台国であると同時に、盲目というハンデを負いながらも研究を続けることを可能にした夫婦の物語でした。そういう生き方は、ある意味、羨ましくもあり、憧れも感じました。

Amazonで見つけたこちらの本も読んでみたいです。

倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本 (講談社学術文庫)

倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本 (講談社学術文庫)