タイトルに惹かれて読んでみました。著者は投資界ではとても有名なcisさんという方。現在の資産がなんと230億円というとんでもない方です。本書ではcisさんがこれまでどのような投資を行ってきたか、どんな戦略・哲学をもって望んできたかが書かれています。Kindle Unlimited対象ではないので、自腹で買いましたが、色々考えさせられて読んで損はありませんでした。

一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学 (角川書店単行本)
- 作者: cis
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2018/12/21
- メディア: Kindle版
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この方、株というものをゲームとして楽しんでいるからこそ、このように大きな資産を作れたのだろうなということが伝わってきます。そもそも、株に限らず、色々なゲームで勝つ方法を考え実行するのが純粋に好きなようです。
私は子供の頃からゲームというものに真剣になれない性格だったので、この方が羨ましいです。たかがゲームだから真剣になれない。でもゲームではない実際の人生でもイマイチ真剣になれない自分がいたように思います。
私もこれからゲームを真剣に楽しむという訓練を意識的にしていけば、今後の人生で何かしらのプラスになるのかもしれないなと思いました。
この本を読んで特に心に残った言葉は「大勝ちするとチャラにされる」危険があるというものです。
確かに、何事でも大きく勝って目立つとその勝ちを超法規的に無かったことにしようとする世の中の力が働きがちな気がします。
有名タレントが週刊誌にスキャンダルを書かれて転落したり、大金持ちが盗難にあったり、会社が大きくなりすぎると分割させられたり、王様が庶民から搾取しすぎて革命が起きたり。そういう例はいくつも挙げられそうです。
社会の富の再分配システムが十分に機能していないと、あるところで庶民の不満が爆発したり、そのガス抜きとして、大勝ちした人を生贄に選んでその勝ちをチャラにする。世の中には確かにそういう働きがあるように思います。
最近では、日本も含めて貧富の差が世界のいたるところで広がっているという報道がなされていて、このままでは結構大きな不満が爆発する危険があるのではないかという感覚が私にはあります。
結局、人は必要以上に得てはいけないのでしょう。人という種全体としてそういう感覚が組み込まれている気がします。
ごく少数の大勝した人がいてもその人が残せる子孫には限りがあります。だったらもっと多くの人を広く薄く豊かにして子供を残せるようにしたほうが種として正しいはずです。
そう考えると、お金持ちというのも辛い立場なのかもしれません。
たまたま商売や投資がうまく行って大金持ちになったのに、いつチャラにされるかとビクビクしなければならないからです(まあビクビクするような人はお金持ちになっていないという可能性もありますが)。
本書にも書いてありましたが、株も額が小さいうちはいいですが、額が大きくなると今の値段で全部売るということはできなくなります。自分が売ったことで価格が下がってしまうからです。大株主が売っているとなれば、その会社に対する不信が出てきて更に値が下がるかもしれません。100億円持っていると思っていたのに、実際には換金したら10億円だった。そういうことも起こりうるわけです。
上で貧富の差がと書きましたが、実際は大富豪の富というものは、数字上大きく見えているだけで実際はたいして大きくないのかもしれません。
資産が100億あったとしても、上で書いたようにそれをそっくりそのまま現金化できない可能性もありますし、例え現金でもっていたとしても、自分が生きているうちに純粋に自分のために使える額といったら微々たるものでしょう。
高級品を買いまくれば死ぬまでに使い切れるよと言う人もいるかもしれませんが、よくよく考えてみると原価よりも異常に高い値段の物を買うということは、それを作っている人・売っている人たちにお金をあげているようなもので、それは結局再分配であって、純粋に自分のために使っているとは言えないでしょう。
この前「富裕層トップ62人の資産、世界の半分36億人の合計と同じ」という記事が出ていました。
面白い思考実験として、世界の他の人全員が一斉に、もうこの62人とは一切の取引をせずに無視して生きていきましょうと決めたとします。物を売ってくれと言われても売らず、俺のために働けといわれても雇われなければよいのです。その人から盗んだりするわけではないので完全に合法です。あなたたち62人はお金持ちなんだから、もうその62人だけで楽しく暮らしてくださいよ、と言ったらどうでしょうか。その62人の富はそもそも存在したのでしょうか。
結局、お金持ちはその他大勢がそう認めているからそのなのであって、その幻想が崩れたらそうではなくなるわけです。そう認められるためには「徳」が必要で、その徳というものは、いかに嫌味なく再分配できるかにかかっているのでしょう。
そう考えると、上のような記事が出ても、あまり気にせずに生きていけるような気もしますね。あまりひどいことをするのであれば、みんなで無視すればいいのですから。